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<化粧>「男のくせに」はもう古い(毎日新聞)

 ◇「男のくせに」を覆す、彩りの歴史くっきりと−−国際日本文化研究センター機関研究員・平松隆円さん

 「男が化粧をするなんて」。そんな社会通念に見直しを迫るのが、国際日本文化研究センター機関研究員の平松隆円(りゅうえん)さん(29)による、化粧を通じた日本文化の研究。化粧の研究では異例ともいえる博士号を取得した。

 「男が化粧をするなんて、という観念はむしろ最近なのです」。歴史をひもとけば、男性はずっと化粧をしてきたことが分かる。また、若者を対象にした意識調査でも、男らしくありたいと思う男性ほど化粧に積極的だった。

 研究のきっかけは、東京・渋谷に集う「センターGUY(ガイ)」と呼ばれる若い男性たちだった。「ガングロ」の女性をまね、顔を黒く塗る姿を見ているうち、「なぜ男が化粧を」と興味を持った。

 手始めに、大学生の男女約300〜700人に3回にわたり化粧についての意識調査をした。その結果、男らしくありたいと思う男性ほど化粧をしていた。ところが女性は、女らしくありたいという以外に、必要な身だしなみという動機も強かった。背景に、男性は女性の化粧を期待する一方、女性は男性の化粧を期待しないという意識の落差があった。

 次に歴史を調べた。「源氏物語」「枕草子」から近代の文学、随筆まで、目についた文献から化粧の部分を手当たり次第集めた。そして、化粧の歴史を(1)呪術や信仰など人々の所属集団を示す「基層化粧」(2)支配者に接近するための「伝統化粧」(3)個性を発揮する「モダン化粧」の3段階に分けた。

 例えば、男性の化粧の歴史−−。中国の歴史書「魏志倭人伝」によると、3世紀の日本では「男子は大小となく、皆黥面(げいめん)文身す」と、入れ墨の化粧をしていた。平安時代の貴族たちは、ひげをそり、まゆ毛を抜き、おしろいで厚化粧して新たにまゆ毛を描いた。ひげをそろえない男性は、「枕草子」や「源氏物語」の中では非難の対象にされている。それが武士の時代になると、戦闘的な顔つきが評価され、ひげが復活し、かぶとをかぶる際の月代(さかやき)(頭部をそること)が象徴になった。

 1939年に日本軍とソ連軍が衝突したノモンハン事件の戦記には、戦闘の緊張で顔面蒼白(そうはく)になり部下に悟られる事態を防ぐため、ほお紅の化粧をするよう上官に命じられたという体験談があった。平松さんは「江戸時代の武士の心得『葉隠』にもほお紅がある。武士も軍人も、ほお紅は戦いに挑む際の男性の必需品だった」と指摘する。

 戦後はMG5やマンダムなどの男性化粧品がヒットし、60年代末には企業が高校の男子生徒を対象にした美容講座を行うまでになった。かように男性はずっと化粧をしてきた歴史があった。それがなぜ「男が化粧をするなんて」となったのか。

 平松さんは「化粧という言葉には、(アイシャドーなどの)装飾と(スキンケアなどの)身だしなみの二つの意味が元々あった」と説明する。41年に文部省が制定した「礼法要項」でも「化粧は目立たない程にする」と、身だしなみのための薄化粧を指導していたほどだ。それが、「高度経済成長のころから化粧は装飾の意味に限定され、しかも女性のものであるという風潮が強まった。それにつれ、『男が化粧をするなんて』という意識が社会に広がっていったのではないか」と推測する。

 論文は昨年、「化粧にみる日本文化」(水曜社)として刊行された。「化粧への意識が社会や時代によって変わるのは、美人の基準が異なるのと似たようなものです。それだけに、化粧を研究することは人と人、人と社会とをつなぐ重要な手がかりになり得るのです」と意義を力説する。【大森顕浩】

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